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お読み下さるみなさまへ

元々は、都通研(東京都障害者通所活動施設職員研究会)で行い好評を博したアクティヴィティでした。

例のスラップ訴訟によって中断を余儀なくされていたものを、ここに復活(復刻)します。
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黒い目 茶色い目 [研究素材(未分類)]

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むかし自閉症か否か、なんの手掛かりも理論的な裏付けが無かった頃、
「あの子は可愛いから自閉症だ」と言う様な見方を現場でしていた。



一見根拠が無いようだが、私には頷ける所がある。
それは、自閉症の子供のひとみが、真っ黒で大きく開いているのが特徴だからだ。



人が、人に対して好意、興味を抱くと瞳が開くことが知られている。
それを本能的に知る「ヒト」は、ひとみが大きい人を好ましく可愛らしく感じる。

その心理を利用するのがアイドルで、コンタクトを入れたり瞳が大きく見える様にテクニックを尽くす。



ひとみが大きく開いている自閉症。つまり黒い目を持つのは私だ。



一方、妻はひとみが極端に小さく、いつも閉じていて茶色い目を持つ自閉症だ。



共通するのは、ひとみの開き方が正常では無い事。

わたしのひとみは、普通より開きすぎていて、妻のひとみは普通より閉じすぎている。
これは、脳からの制御がうまく出来ていない証拠でもある。



茶色い目を持つ妻は、部屋の中でもまぶしいまぶしいをくり返すくせに、
カンカン照りの屋外で帽子も被らず平気で仕事を続けることが出来る。



黒い目を持つ私は、薄暗い部屋でもほとんど暗いと感じることは無いが、
外へ出ると、まぶしくってしょうが無い



これ程、両極端に居ながら、同じ自閉症。
同じ自閉症だからこそ、どちらも両極端なのか。



この事を、評論家、学者が「感覚過敏」と総称するのはあるだろう。



だからといって、「私は自閉症だから感覚過敏なのです」とは絶対ならない!



何故なら、それらは自分の事であって、あたかも他人が見たような表現はしないし、
出来ないからなのだ。

「感覚過敏」は概念であり、自閉症は概念を理解出来ない
さらに、マインドブラインドネスなんだから、あたかも外から自分を見るような表現
できないのである。



それが出来ると言う事は、自閉症、自閉症スペクトルでは無いと言う証明なのだ。



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夏の日差し [研究素材(未分類)]

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高校2年。私はその頃九州福岡の西南学院高校へ行っていた。下宿生活だ。



下宿生活は不便な事が多く、風呂に入るのも順番待ち。下宿人は20人以上いるから、
結局1週間に1度しか風呂に入ってなかった。



その頃も忘れ物王だったし、洗濯が乾かず体操服を用意出来ない時もある。
そんな時、体育祭の全体練習があった。
制服でも良いから体操だけでも参加しろと言う呼びかけで、黒い学生服のまま参加した。




体操を始める段取りで、一部から笑い声が起きた。
1度目が引き金になって、段取りが進んだ中もう一度爆笑が起き、なかなか収まらない。



そこで、体育教師が怒り出した。「静かにしろ!笑うな!制服の上を脱げ!」
体操着の団体の中、黒い制服姿がチラホラ。気になったのだろう。




私はその日、制服の下はラガーシャツ、あか、白、青、黒、巾が5センチぐらいある太巾の
ボーダー柄のラガーシャツを着ていた。




黒い制服を脱いだら、それこそ私だけが目立って目立ってしょうが無い。
それでも始めようとしたら、まだ教師が怒っている。「笑うな!」「上半身裸になれ!」




今度は裸だ。しかし、教師の怒りはまだ収まらない。




「こらー、そこー、笑うな-」ついに怒りが頂点に達し、
体育教師が教壇を飛び降りこちらに向かってきた。
誰も笑ってないのに、皆凍り付く。




ここまで教壇から30mぐらい。ズンズン一直線でこっちへ向かって歩いてくる。
「いつまで笑ってんだ!」




この期に及んで一体ドコのドイツが笑ってるんだろう。それにしても度胸のいい奴だ。
教師はコチラを睨みながら、どんどん近づく。
誰だ、だれだ。笑ってるヤツはダレだ。




私の方をじっと睨みながら来た教師は、私の目前3mぐらいで突然顔色を変え、
余所を向いて、私の横を通り過ぎた。




私の横を2mほど通り過ぎてから「いいか。 笑うなよ」と一言言ってから
きびすを返し教壇に戻り、体操を終え、体育祭の予行演習は終わった。




「アイツ、オレがまぶしくて目をしかめてたら、笑ってるって勘違いしたんじゃ無いかな」
体操が終わり、教室へ帰るすがら同級生に話しかけたが、イエスでもノーでも無かった。




ピーカンの雲一つ無い直射日光の中でも、平気で野良仕事をする妻に比べ、
私は日差しが強い日は、まぶしくってしょうが無い。
サングラスを何本買っても、サングラスを掛けたい時に手元にあった試しが無いから、
サングラスを掛けたくても掛けられない。




だから、晴れた日はいつも目をしかめている。まぶしいからね。
私がまぶしがっている顔は、私が見ても笑っているように見える。




だって、まぶしいんだもん。  

だからって「私は感覚過敏です」とは言わないよ。当事者だから。





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冬の日差し [研究素材(未分類)]

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部屋に差し込む冬の日差しは自然の恵みだ。
誰もがその日差しに癒やされ、実際に遠赤外線効果も認められる。



私も、冬の朝は少しでも太陽の恵みを部屋の中に取り込もうとブラインドを開ける。



すると、妻がすぐブラインドを閉じてしまう。
「なんでブラインド閉めるの?」「だって、まぶしいんだもん」



このやり取りは、結婚して以来延々30年くり返してきた。「なんでかなーー」
58才で失職し、以来就職出来なかったので、
妻の行動を観察していてやっと原因が分かった



「感覚過敏」じゃあ無いよ。
自称自閉症だとここで「私は感覚過敏だったのです」となるんだけど、ココはリアルの場








妻が、冬の日差しが差し込んでいる部屋に入ると、まるで囚われた様に日差しを見つめる。
それも、日が差したところを見るのでは無く、太陽の方向に顔を向け、じっと見ている。



「まぶしいよ。まぶしいよ」
そりゃ、そんなに太陽の方を見上げたらまぶしいよ。まぶしいに決まってるじゃん。
まぶしいどころか、網膜が焼けちゃうよ。



「日が差している時は、反対側を見るとイイよ」
「日が差している時は、背中や腰を向けてごらん。あったかくて気持ちイイよ」



どんなに、代替えの方法を伝えても、絶対納得しない。そりゃそうだ。私も妻も自閉症だ。

結局、ブラインドの角度を調整して、お互い妥協できる様にした。



冬の日差しがまぶしくて許せない妻だが、直射日光の中でも平気で野良仕事をする。
一旦外へ出ると全く日差しのまぶしさは気にしないし気にならない。
これが、自閉症のリアルなんだ。








が冬の日差しをまぶしいと言うのは、どうも「明暗差」にある様だ。
明暗差が強い部屋に入ると、普通は目を守るためにも、無意識に暗い所を見るようにする。
明るい所を見ると目がつぶれちゃうからね。



しかし、妻は自閉症だから、その「明るい部分」に目が引きつけられ
そこから目を離せなくなってしまう
これは「無遠慮な視線」と呼ばれるモノと同じ構造だ。



いくら明るい部分に目が引きつけられたとしても、見続けたら網膜が焼けちゃう。
それを防ぐには、ブラインドを閉めるしかない。
だから、妻は毎朝ブラインドを閉める。私は開ける。そして妻が閉める。こう言う毎日だ。

結局、ブラインドの角度を調整して、お互い妥協できる様にした。






これが、自閉症者と暮らすリアルであり、自閉症児のリアルだ。
「私は感覚過敏で困っています」「私の息子も感覚過敏です」とはならないんだな。
こういう文章を書く人は、ネットライターか、人の話をネタにしている人だろうね。
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英国と日本の違い [研究素材(未分類)]

自閉症について昭和43年1968年当時から全く状況が変わらない日本と比べ、英語圏、
特に英国では地道な研究が徐々に進み、1989年フリス達の論文で結実しました。
出典が見つからないのですが、
その後フリスは英国医学界から表彰され、勲章ももらったと聞きました。




フリスもその著書で何度も謝辞を述べているのが、ローナ・ウイングです。
何故なら自閉症の娘を持ったウイングは、娘の成長を見ながら、その理論的裏付け、
子供の成長に対して何が有効かを実証していましたから、
フリスにとっても理論の検証の助けとなった事でしょう。

奇しくもその娘さんは、私の前年、妻と同じ1956年生まれ。私か妻どちらかと同学年です。




前回はウイングの記述「正常との境」を引用しました。
その中にある部分をもう一度引用します。


下記引用----------
     自分が自閉性障害をもつことに気づいており、
     そして相互に連絡を取りあっている非常に能力の高い人のグループは、
     いろいろな刊行物のなかで、
     自分たちの考え方やその世界の経験のしかたは、
     自分たちにとって正当なものであること、そしてたとえ治療が可能だとしても、
     自分たちはそれを望んでいないことを強く主張しています。
     しかし自閉性障害だと気づいている人がすべて、
     必ずしもこのように感じているわけではなく、
     たとえ表面的にうまく対処していても助けを求めています。
     ひとりひとりの感じ方や願望は、尊重すべきです。
上記引用-----------



英国では1960年以前から自閉症の研究が進み、疫学調査も進んでいました。
ですから、研究対象となった子供達は大人に近づき、相互に連絡を取りあうような
グループが出来上がったのでしょう。

その様なグループの中で、自分たちのアイデンティティーを確認しあえたとは羨ましい限りです。
そんな中から、ドナウイリアムズであり、テンプルグランディンが著作という形で
表現手段を得たことを此所では取り上げています。

彼女たち以外にも、エリーの日常が母親によって書き表されました。
IMGP6235.JPG
この写真は、初版の古い表紙のエリーとその後再版された「エリーの記録」です。
私は微妙に視線をズラしている古い写真の方が自閉症児らしくて好きです。




話が少しズレましたが、
引用の中に英国では知能の高い自閉症だが診断を受けていない当事者グループが存在して、
相互に連絡を取りあっていた様です。
それもこれも、長い研究の結果があってこその当事者会です。




日本では、ようやく1998年11月にウイングの「自閉症スペクトル」が出版されましたが、
突然1999年には愛知県を中心に、「自称知能の高い自閉症当事者の会」が出来上がっていました。
今も愛知、埼玉等にある様です。




英国の様に数少ない「話せる自閉症」が語り合う場であったなら、私もどれ程幸せだったでしょう。
しかし、日本の当事者の会は「ニセ自閉症ニキリンコ」を中心とした当事者会で、
私のメンタリティと真逆の世界
「つらく哀しい」が分からなければいけない、
概念が理解できなければ認められない場所でした。
その歴史は脈々と続き、今でも自称自閉症の当事者は「つらく哀しい」を理解し、
生きづらい」人生を送る人達の集いの場。私たち夫婦の居場所はありません。
1968年当時と2018年の今と、自閉症を取り巻く環境はさほど変わっていないのです。




結果から言えば、そこで「ニセモノ」のレッテルを貼られ、徹底的に打ちのめされたからこそ、
わざわざ児童精神科へ行き、アスペルガー症候群の診断を受け、さらに抗うつ剤を処方されました。




今思えば、ウイングが言うとおり、何の問題も抱えていないと考えていた私は
「助けを求めていた」のであって、内山先生に助けてもらいました。

あの時、内山登紀夫先生、吉田友子先生に会っていなければ、今頃はとっくに死んでいました。




私は辻井正次名誉毀損で訴えられ、スラップ訴訟も仕掛けられました。
同じ自閉症に関する仕事をする内山先生、吉田先生、よこはま発達クリニックにも
少なからず、相当迷惑が掛かったと思います。

許されることではありませんが、今ここで改めてお詫び申し上げます。
迷惑掛けてゴメンね。




でも、私はアスペルガー症候群の当事者。妻もアスペルガー症候群の当事者。揃って当事者。
これぐらいとっちらかっているのは分かってたでしょ?
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それでもグレーはある!? [研究素材(未分類)]

世界中でふたり(他にもいるかも知れませんが)、日本の杉山登志朗医師と辻井教授だけが、
自閉症グレーゾーンが存在すると主張しています。
フリス、ウイング、バロンコーエンの判定基準を準拠していると言いながらです。



マスコミ(NHK)やネットではしきりと主張していて、同じ主張はしょっちゅうネットで見掛けます。
しかし、残念ながらその根拠となる論文、データ等一切見つけられ無いのですが、
ヘタに「その根拠は」などと問おうモノなら、名誉毀損で訴えられるので誰も問いかけません。



数少ない情報の中から、その根拠らしきモノを見出すなら、この文章が見つかります。
LORNA1.jpg
ウイングの本の250ページ。
ただこの文章は英国流の言い回しがあり、分かりにくい日本語なのでくせ者です。
Scan0007-2.jpg

下記引用----------
     p250 正常との境

     自閉性障害として特徴づけられる特性の多くは、
     生活のあらゆる面で間題なく過ごしている人にも
     わずかながらみられることがあります。

     ほとんどの人はそのパーソナリティのなかに、
     自閉的行動となんらかの共通性をもつ側面が、一つないしそれ以上
     見られるものです。

     アスペルガーが指摘しているように、ある程度の自閉性は、
     芸術や科学の領域においては有利となります。
上記引用----------


1.自閉性が見られる人でも、問題無く生活している人がいる。
  かつての私がそうでしたが、残念ながら経済的成功に至らず、満足出来る生活環境を
  整えるまでには行きませんでした。
  しかし、私たちの仲間には、経済的成功者が存在し、生涯を全うできる人もいます。






下記引用----------
     自閉性障害をもつ能力の高い人と、
     正常だがちょと変わった人との間には、 明確な境界線は存在しません
     診断の問題の論議のなかで、
     どこに線を引くべきかということがしばしば討議されます。
     診断を下すことによって、だれかを傷つけたり、
     以前になかった問題を引き起こす危険性はないのでしょうか。
     この問いは、実践上のジレンマではなく理論上のジレンマです。
上記引用----------


2.現在自閉性障害の明確な境界線を設けていない。それは理論上のジレンマがあるからだ。
  理論上のジレンマとはどの様な事でしょう。

  自閉症か否かは既に「心の理論」等で定義されている。
  しかし、問題無く生活している人まで含め強制的に判定する事に繋がらないか。
  判定した事で、かつてのユダヤの様に排除の対象になったり、
  判定された事で、例えば社会制度上で逆差別の対象にならないか。
  これらの可能性を考えると、理論上のジレンマが生じる。  と言う事です。






下記引用----------
     臨床においては
     自閉性障害の診断をする最も重要な理由は、
     個々の問題が幼年期から成人期までの発達上の難問を引き起こすからですし、
     また親たちや自閉性障害をもつ人自身がしばしば助けを必要としているからです。

     そうした場合、診断を下すためには、
     その診断によってどのような助言が得られるかを検討するのが適切です。

     よく対処している人は、たとえ自閉的特徴をたくさんもっていたとしても、
     診断を受けに行くよう紹介されたり、自分からすすんで診断を受けたりはしません。

     彼らにそうすべきだと助言することは、不当な干渉です。

     自分が自閉性障害をもつことに気づいており、
     そして相互に連絡を取りあっている非常に能力の高い人のグループは、
     いろいろな刊行物のなかで、自分たちの考え方やその世界の経験のしかたは、
     自分たちにとって正当なものであること、そしてたとえ治療が可能だとしても、
     自分たちはそれを望んでいないことを強く主張しています。

     しかし自閉性障害だと気づいている人がすべて、
     必ずしもこのように感じているわけではなく、
     たとえ表面的にうまく対処していても助けを求めています。
     ひとりひとりの感じ方や願望は、尊重すべきです。
上記引用----------


3.ひとりひとりの感じ方や願望は、尊重すべきである。







「正常との境」 ウイングの言わんとする結論はこうです。

1.自閉性が見られる人でも、問題無く生活している人がいる。

2.現在自閉性障害の明確な境界線を設けていない。
  それは理論上のジレンマがあるからだ。

3.ひとりひとりの感じ方や願望は、尊重すべきである。






走り読みをすれば何となく変な人と自閉症の間がずっと続いている様に感じるかも知れませんが、
よく読み込むと、自閉症のグレーゾーンが存在するなどとは一切書いていない事が
分かると思います。



ではもう一度この部分をよく読んで見て下さい。
クリックすれば大きくなります。                さらにつづく・・・
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マインドを獲得する境目 [研究素材(未分類)]

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ヒトは遅くとも22ヶ月で「自我」「マインド」を獲得します。
それ迄はヒトと同じ形をした動物ですが、「マインド」を得てヒトとなります。



この事から、ヒトであるか無いか。
「マインド」を獲得したかしないかで自閉症であるか否か
と言う事が明確に分かれていて、
自閉症のグレーゾーンは存在しない、と言う事が分かります。



「チョット待った!18ヶ月と22ヶ月に間がある。その間の状態はどうなる。
 それがグレーゾーンなんじゃ無いか?」



そうではありません。

18ヶ月から22ヶ月と言うのは、人の成長にはバラツキがあり、
18ヶ月から22ヶ月の間のどこかで、「マインド」を得ると言う意味で、
その間の期間の事を言っているのではありません。

その子の成長が早ければ18ヶ月と1日で得るかも知れませんし、
遅ければ21ヶ月と22日で得るのかも知れません。



小学4年になると、第一次反抗期が訪れます。これも人の成長に伴うモノです。



第一次反抗期もいつ、どう言う形で訪れるのか厳格には分かっていませんが、
この時期のドコかのタイミングで訪れ、ある日突然親が気付きます。「ああ、反抗期か」
気付いた時が反抗期の始まりです。



壁の電灯のスイッチを見て下さい。スイッチを入れると点灯します。
スイッチを切ると消えます。
電灯のスイッチにはグレーゾーンはありません。



第一次反抗期もそうです。
やはりグレーゾーンと言うべき部分は無視して良い程小さく問題にすべきでは無いので、
グレーゾーンはありません。



自閉症も同様です。
「マインド」を持っていない幼児が「マインド」を得てヒトになります。
電灯で言えば点灯している状態ですね。

「マインド」を持てないまま成長し続けているのが、自閉症スペクトル。
自閉症でありアスペルガー症候群であり、その他の呼び方の自閉症の仲間です。
電灯は点いていません。

だからグレーゾーンはありません。



つまり、理論的「自閉症のグレーゾーンはあり得ない」のです。



分かって頂けたでしょうか。


つづく・・




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自閉症グレーゾーン? [研究素材(未分類)]

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精神科医がすべて児童精神科医でも無く、自閉症の専門家ではありません
そもそも、カナー型の子供でさえつい最近まで判定が難しかったし、
一般の精神科医が自閉症児の判定をおこなってきた訳では無いので、突然診察室に来て
「知能が高い自閉症だと思います。診断して下さい」言われても
診察希望者が現れてから、該当資料を研究するのが関の山です。



ですから、精神科病院の中には待合室に、あの「自称自閉症」ニセモノの自閉症のニキリンコ
書いた書籍を置いている病院もあるくらいです。



その程度の認識の病院で診断を受けようとしても、転院を進められるか、おおよその判断しか
下せません。
この場合、診断以前の状態、つまり「未診断状態」或いは「グレーゾーン」となります。



精神科を受診して「グレーゾーン」状態だったとしても、
自らがグレーゾーンと宣言する為精神科医を利用するなら別ですが、
現実にはそれ以外の目的がある筈です。



つまり、「うつ」であったり「PTSD」に悩んでいたり「強迫性障害」の様であったり、
何かしらの問題を抱えて精神科を受診したのでしょう。
受診した精神科医が、自閉症理論をマスターして居なくても、精神科医としては十分患者の様子を
診る事は出来ますし、一般的な精神疾患に対しては非常に有能であるかも知れません。



精神科で、診察を受け、精神状態が改善し健康的な毎日が取り戻せたなら、
自閉症グレーゾーンであるか否かは全く問題になりません。



では何故「発達障害グレーゾーン」(自閉症グレーゾーンを臭わす当事者)が
ネット上に大量発生するのでしょう。



それは、嘗て「ニセ自閉症当事者ニキリンコ」を仕立て上げ、組織を挙げて応援し、
未だに政府障害者施策委員辻井氏を送り込んでいる創価学会が、
選挙に備え、新たな組織、新たな人員確保に励んでいるからとしか思えないのです。



穿ちすぎる考えでしょうか。
現実にスラップ訴訟に巻き込まれた身としてはそう考えてしまいます。




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自閉症のいちばん分かり易い理解の仕方 [研究素材(未分類)]

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1989年 ウタ・フリスを筆頭にアトウッド、バロンコーエン、ウイング、ハッペ等の研究が結実し、
自閉症の理論的な定義が医学界で受け入れられ、判定基準となりました。



それまで、特に知恵遅れの子でも、果たしてその子供を自閉症と言うべきか否かは、
おおよそでしか判断出来なかったのです。



理論的に、自閉症か否かを判断出来る様になった事で、知能が高い人の中にも自閉症が居る事が
証明され「アスペルガー症候群」と言う過去の呼び名を現在に蘇らせ、流用されました。



此所に至るには、人工知能の生成ロジックや人間の認知研究の結果も非常に大きな力を発揮しました。
用語ばかりが難しい自閉症の理論ですが、最も分かり易いのが今日の話です。





子犬にカガミを見せます。
子犬は仲間が居るかと、カガミに鼻を付け、さらにカガミの裏側に回ります。
これで、カガミはカガミで仲間では無いと知ります。そして、もう興味を持ちません。
トリから猿、イルカまで同じ行動をとります。  これは動物の行動です。



18ヶ月以前の幼児にカガミを見せます。
カガミに向かって笑いかけたり、手で触ろうとしますが、それで終わりです。
これも動物と同じ行動です。



22ヶ月を過ぎた幼児にカガミを見せます。
この時、鼻の頭にクリームを少し付けます。
鼻の頭にクリームを付けた顔を見て大笑い。すぐに自分の顔だと判断し、
鼻に付いたクリームを取ろうとしたり、大笑いしながら母親に見せようとしたりします。

この行動は、「カガミに映っているのは自分の姿である」と認識したと言う証明です。



この実験は、人間の認知を知る実験として広く知られ、ディスカバリーチャンネルでも
非常に上手に映像化されていますから、皆さんもテレビで見た事があると思います。



この18ヶ月から22ヶ月のほんの4ヶ月間に、人間は「自我」「マインド」を獲得する事が
こうして証明されたのです。



そして、この「自我」「マインド」を獲得出来ないまま成長した人間が、
「自閉症スペクトル」なのです。



もちろん、これは最も分かり易い指標なので、それ以前に分かる事もあります。
そして、この指標をすり抜けた場合、その後の指標、例えば「サリーとアン」の課題であったり、
その他の判定基準とする課題があるのですが、自閉症の基本は「マインド」を獲得出来ない事、
つまり「マインドブラインドネス」である事なのです。



さらに分かり易く言うと、どんなに知能が高くてもマインドに於いて
「動物と同じレベル」と言う事なのです。



医師が知能の高い自閉症児を診断し、判断出来ず「グレーゾーン」と判定する事があったとしても、
自閉症の「グレーゾーン」は存在しません
「マインド」があるか無いか。「マインドブラインドネス」であるか無いかだけなのです。



・・・つづく    理解出来ない人はコメントをどうぞ




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